過程をみせる
どうも、カシューナッツです。
前回の物語の続きがまとまらないので
ちょっと別のお話を。
人は集団の中にいると色々揉め事も起きやすいです。
特にコミュニケーションでのズレは日常茶飯事ですね。
原因は言葉の深度の違いや文化、生き方、価値観などのズレから受け手と話し手の意図がズレていきやすいとボクは思っています。
このコミュニケーションのズレを埋めるために組織の行動理念やグループ内でのルールや共通認識を創るわけです。
ココが明確でないと組織の風土や、目的地、行動指針が決まらないので行き当たりばったりになりやすいと思っています。
(ボクの仕事場はココが明確でないので色々と人の間に挟まれてパイプ役をしないといけないのかなー?とよく思います汗)
ただ変化が激しく先の見通しがしづらい今の世の中で何を大事にするのかを常に考え続けることが一番大切なのかもしれませんね。
話が少し逸れますが、個人単位でのコミュニケーションや物事を進める時に陥りやすいポイントについて話そうと思います。
物語の流れを構成する時に起承転結が必ずあります。
これは人に物事を説明する時にも必要なポイントだと思っています。
いきなり結論や結果だけを説明されると察しがいい人はわかるかもしれませんが、大抵の人は「??」ってなります。
自分が何を意図してその話をしているのか。
何でその意図をしたいと思ったかという経緯。
結果には必ずその考えに至った過程や理由が存在するはずなんですね。
起承転結でいう「承転」の部分です。
「第一句(起句)でうたい起こし、第二句(承句)でこれを受けて発展させ、第三句(転句)で場面や視点を転じ、第四句(結句)でこれらを受けつつ全体をしめくくる。 また、文章や話などで全体を秩序正しくまとめる構成の意として用いられる。」(goo辞典より引用)
話のオチというのも最後の締めくくりとして聞く時に楽しい部分ですが、それらを楽しむまでの過程の部分がどのくらい膨らみがあるかでオチまでの期待が高まります。
手品などでもタネは意外にも簡単なものなのにその中身をいかに魔法であるかのように魅せるかという膨らみの部分が素敵な程、より期待が高まるんですよね。
この膨らみ部分がどれも過程に当たります。
ボク自身、この膨らみの部分を大切にしています。
お客さんに「じゃあ今日はこれをやりますよー」と最初に促し、
「この運動はココとココをほぐして、身体のこの痛みや硬さを減らすことに繋がりますね〜。」と説明し、
「すると歩きやすくなったり、こういう動きがしやすくなるんですよー」と話しています。
ひとつの運動をやる理由、メリット、やった後に何が変わるのか、その結果どういう未来に繋がるのかまでを毎回簡単に短くですが説明しながらやってるんですね。
それは個人でも集団でも同じです。
いかに受け手がひとつの行動をした結果、その過程で変化が起き、どういう未来に繋がるかの想像を一緒に出来るかが重要だと思っています。
単純なメリットだけで盲目にやり続けるよりも、こちらのイメージしている結果を伝えながら、それを受け手が明確にイメージできたり、感覚として実感出来れば、受け手のモチベーションにも繋がります。
同時にお互いの信頼関係を深めることにもなるし、より深い共通認識が築かれるからなんですね。
だからいかに優れたメソッドや手段を持っていても、受け手に理解されなければただの自己満足だと思っていますし、やる側も続かないと思うんですね。
少なくともボクはそうです笑
相手がコレは意味がある!と少しでも思ってもらえなければただ時間を浪費しているだけと思いますし、人によってはそれでいいのならそれでいいかと考えていますね。
日本舞踊や能、歌舞伎などでもある「間」というものも、いかに動きだけではなくこの静止した状態での表現に膨らみや奥行を持たせるかというのが日本文化の奥ゆかしさという素敵な言葉の表現にもなると思っています。